歴史ネタ

時に中大兄皇子らの抑えも効かぬほど、やりたい放題やりまくった大王2期目の斉明天皇。その晩年にいたる治世の事績には、数々の建築・土木工事にくわえて、数々の外交・外征の実績がある。その最期も、韓半島に派兵する前線司令本部・筑紫朝倉宮におい ...

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重祚後、斉明天皇の暴走はとまらない。即位のその年に小墾田宮を造営しようとして中止。板蓋宮が火災にあったため飛鳥川原宮に遷幸。その翌年がすごい。飛鳥岡本宮、吉野宮を立て続けに造営、さらに多武峰にも両槻宮を造り、これにともなって香具山から ...

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孝徳天皇と中大兄皇子の対立の真相は、結局のところよくわからない。よって、いろいろな可能性を考えるだけにとどめておくことにしたい。

 

さて、654年に孝徳天皇は崩御。同年末の葬儀を経て、翌655年、皇 ...

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中大兄皇子は孝徳天皇と対立し、653年、天皇を難波長柄豊碕宮に置いたまま、皇祖母尊、孝徳皇后・間人皇女、大海人皇子をはじめ、公卿大夫、百官を引き連れて飛鳥川辺行宮に移ってしまい、その翌年に孝徳天皇は病死している。

その後、 ...

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643年の上宮王家滅亡事件、および645年の乙巳の変は、若すぎて、蘇我氏の血も入っておらず、母が即位したために資格を失うという、あらゆる面で大王位継承者になれない立場に置かれた中大兄皇子を、一躍その座に引っ張り上げる効果をもたらした。 ...

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643年、蘇我入鹿の手により山背大兄皇子とその一族は滅亡。大王位継承争いの帰趨は古人大兄皇子の勝利に定まるかに思われた。が……事はそう簡単には終わらなかった。

 

乙巳の変

山背大兄皇子が廃されたことで ...