歴史ネタ

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関西のおばちゃん・持統天皇 7

草壁皇子にとって脅威となりうる大津皇子は葬った。ところが、まだ鸕野讃良皇女の戦いは終わらない。草壁皇子は18歳。『日本書紀』の扱いにしたがっても24歳。いずれにせよ、当時の基準ではまったく実務経験が足りていないと見なされる年齢だ。 鸕
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関西のおばちゃん・持統天皇 6

わが子・草壁皇子を皇位につけること。それが鸕野讃良皇女の悲願だった。悲願というよりも執念、執念というよりも妄執と言った方があっているかもしれない。そのくらい強く、彼女は草壁皇子の践祚を願っていた。その実現のため、彼女は豪腕を振るうことになる
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関西のおばちゃん・持統天皇 5

大海人皇子と鸕野讃良皇女は草壁皇子と忍壁皇子を連れて迅速に吉野に下向したが、ほかの皇子らは大津京に残っている。そのへんも含めて、近江朝廷の状況を一瞥しよう。 大津京の人びと 大海人皇子の長子・高市皇子(たけちのみこ)や大津皇子は
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関西のおばちゃん・持統天皇 4

もう少し壬申の乱前後の情勢を整理する。 671年の10月、天智天皇は病床に大海人皇子を呼び出し、次代の大王位を託そうとするが大海人皇子は固辞。同年12月3日、天智天皇崩御。同5日、大友皇子、弘文天皇として即位(?)。 672年6
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関西のおばちゃん・持統天皇 3

天武天皇が壬申の乱に勝ったおかげで持統天皇は権力を持てたという話だったが、実は「壬申の乱そのものが、鸕野讃良皇女が首謀者として仕組んだものだった」という説もある。乱の当時、鸕野讃良皇女は27歳。もう立派な大人になっていたし、後年発揮される彼
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関西のおばちゃん・持統天皇 2

持統天皇が頭脳明晰で決断力もあり、強いリーダーシップを持つ女性であったことは疑いない。だが、それだけで天武天皇死後の政権運営や革新を成し遂げられたわけではない。天武天皇が壬申の乱で勝利し、近江方についた有力豪族が軒並み没落したことで確立され
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