関西のおばちゃん・額田王(2)

歴史ネタ

引き続き、「関西のおばちゃん・額田王」について。

額田王といえば、あの「あかねさす……」を取り上げないわけにはいかない。あまりにも有名な歌であり、額田王が「野守は見ずや君が袖振る」と詠み、大海人皇子が「人妻ゆえにわれ恋ひめやも」と受けるそのやりとりに、竹内まりや的不倫ワールドを感じてドキドキした奥様方も多いのではないだろうか。

ところが実は、この歌もまた、額田王の「関西のおばちゃん」たるゆえんを物語るものなのである。

 

大海人皇子、中大兄皇子との関係

まず、額田王と大海人皇子、中大兄皇子の関係を簡単に整理する。

『日本書紀』には、「鏡王の娘である額田王は、大海人皇子に嫁して十市皇女(とおちのひめみこ)を生んだ(648年?・653年?)」とある。

その後、くわしいいきさつは不明だが、額田王は中大兄皇子の妻、ないし愛人となったと考えられる。中大兄皇子が、額田王を見て気に入り、弟である大海人皇子に「いい女じゃん。くれ」と言い、大海人皇子が「うん、いいよ」と言って譲ったと、だいたいそう思っておけばよい。

実はこのとき、中大兄皇子は返礼として、大田皇女(おおたのひめみこ)、鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)、大江皇女(おおえのひめみこ)、新田部皇女(にいたべのひめみこ)という自分の娘を4人も、大海人皇子に与えている(657年頃)。「1対4」の交換トレードである。破格も破格で、ここまでくると尋常ではない。中大兄皇子がここまでしていることから、「額田王は政治・外交上、何らかの重要な価値を持つ女性だったのではないか」という推論も出てくる。

 

話がわき道にそれてしまうが、実は中大兄皇子と大海人皇子は兄弟ではなく、まったく別系統の出自を持っており、672年の壬申の乱は天智系に対する天武系による、純然たる王朝交代の戦争だったとする説もあるのだ。

そうだったとすると、ずっとのちに天武天皇の直系が孝謙・称徳天皇で絶え(770年)、天武系からずっと離れた天智系の光仁天皇が即位し、高齢のため10年ほどで崩御するが、その子の桓武天皇が「天武直系の皇統が絶えたのは、その治世に不徳があったからだ」と、易姓革命論にもとづいてみずからの皇統を正当化していることにも納得がいく。

さらに話がわき道にそれるのだが、1994年、桓武天皇の平安京造営1200年を記念して、JR東海が「そうだ、京都行こう」というキャンペーンを行っている。気付いた人は多くなかったが、そのポスターやCM画面には、「遷都1200年」ではなく、「建都1200年」とあった。

 「遷都」ではなく、「建都」。桓武天皇の意識としては、連続した皇統の中で都を「遷した」のではなく、新王朝として新たに都を「建てた」、それが平安京だったのである。

 

閑話休題。

額田王が何らかの重要性を持つ存在だったと考えれば、上の「1対4の交換トレード」も2つの王朝間の政略結婚ということで理解できる。

とはいえ、この「天智・天武2王朝説」はかなり極端な説であり、根拠にとぼしく、異論も多い。結局、なぜ中大兄皇子が娘を4人も大海人皇子に与えたのか、真相は不明である。

なお、大田皇女はのちに大伯皇女、大津皇子を生み、早生。鸕野讃良皇女はのちの持統天皇である。

 

なんちゃって不倫

さて、額田王と大海人皇子、中大兄皇子の関係を踏まえて、本題「あかねさす……」の話。

 

あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖振る           額田王

 

紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆえにわれ恋ひめやも        大海人皇子

 

歌意は、「紫草の生える野を行き、標を張った野を行きながら、そんなことをなさってはいけません。野守が見とがめなかったでしょうか、私に向かって袖を振っているあなたを」と額田王。

これに対し「紫草の紫色のようにうつくしさが匂い立つばかりのあなたを憎いとしたら、どうしてあなたのことをこんなに恋しく思うでしょうか」と大海人皇子。

この歌には「すめらみことの蒲生野に遊猟したまへる時、額田王の作る歌」との題がそえられている。「遊猟(みかり)」というのは、天智7年(668年)に行われた宮中行事としての「薬草狩り」のことである。同年2月の天智天皇即位直後であり、大海人皇子や中臣鎌足など群臣がこぞって参加する盛大なイベントだった。

そんな中で、大海人皇子が額田王に向かって「袖を振る」、つまり求愛行動、愛情表現の意味がある動作をとったということで、額田王は「もう! 人目があるのに! そんなことして私たちの関係バレたらどーすんのよ! バカー!」と叫び、大海人皇子は「そんなこと言ったって好きなんだもん、しちゃうよ~」と答えているわけで、天皇の女に手を出すという、ゆゆしき事態が衆目にさらされている状況。

 

しかしこの時、額田王も大海人皇子も、アラフォーのおばちゃん、おっさんであったことが明らかになっている。ふたりとも生年不明なので、正確な年齢はわからないのだが、額田王は648年から653年頃に十市皇女を生んでいることから、668年では精一杯若く見積もっても30歳代後半くらいにはなり、631年頃の出生と推定される大海人皇子も37歳前後と見られる。

平均寿命が今よりずっと短かった当時は、その年齢は立派に「おばちゃん」、「おっさん」である。

そのふたりが……と考えると、「お、元気だな」という見方もできるが、年甲斐もなくあまりにもバカップルすぎて、若干キモい。

しかし、本当のところはというと、まったく不倫の話ではなかったのである。

 

和歌のジャンル分けを「部立(ぶだて)」といい、「四季」、「相聞(そうもん)」、「雑(ぞう)」の3つが主要な部立とされる。恋愛感情をともなう男女間の贈答歌は「相聞」に分類し、「相聞歌」と呼ぶ。

「あかねさす……」と「紫の……」の2首は、実は「相聞」に分類されていない。つまり恋愛の贈答歌とは見なされていないのだ。ではどこに分類されているかというと、「雑」である。

『万葉集』では、宴会の席で詠まれた戯れ言の歌は「雑」に分類するのを常としている。

すなわち、「あかねさす……」と「紫の……」の2首は、実際のところ、薬草狩りの宮中行事がはねたあとの、宴会の席で詠まれたのである。

当然、酒も入っていただろう。

天智天皇以下、群臣が居並ぶ前で、額田王は「もう! 人目があるのに! そんなことして私たちの関係バレたらどーすんのよ! バカー!」と詠む。

額田王と大海人皇子のかつての関係を知る一同は、もうこの時点で大笑いである。

続けて大海人皇子が、「そんなこと言ったってさー、好きなんだもーん、しちゃうよ~(はあと)」と返す。

一同、大爆笑。抱腹絶倒。

要するに、額田王は大海人皇子をイジっているのであり、大海人皇子は額田王をイジり返しているということだったのだ。

 

こうなると、額田王はもはやただのしおらしい美女ではない。

酒をかっくらいながら腹をバンバンたたき、「ガハハハハハ!」と爆笑しながらまわりの男も女もイジりまくりイジり倒す、豪快な「関西のおばちゃん」の姿そのものである。NHKの小野文恵アナウンサーがそういうキャラであることは知られているが、それに近いものだったと考えて間違いない。あるいは、古くて申し訳ないが漫画『めぞん一刻』に登場する「一ノ瀬さん」。彼女もまた、額田王の真の姿に大きく重なっていると言えよう。

関西のおばちゃん・額田王

さて、こうしてみると、額田王の真の姿は、

 

りりしくて剛毅な、男まさりのおばちゃん

 

であり、さらには、

 

酒かっくらいながらノリノリで他人をイジり倒す豪快なおばちゃん

 

だったということになる。

はて、「美人」の妄想はいずこへ?

 

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