643年の上宮王家滅亡事件、および645年の乙巳の変は、若すぎて、蘇我氏の血も入っておらず、母が即位したために資格を失うという、あらゆる面で大王位継承者になれない立場に置かれた中大兄皇子を、一躍その座に引っ張り上げる効果をもたらした。
「いちばん得をした人間が犯人」という犯罪捜査の常道からすれば、山背大兄皇子一族の鏖殺まで含めて、黒幕は中大兄皇子である。
しかし、若い。645年では19歳。本当に彼がすべての「絵を描いた」のだろうか。
もちろん、筋書きの大半を書いたのは、中大兄皇子より12歳年上の中臣鎌足だろう。
さらに、どの程度まで主導的だったかはわからないが、舒明天皇が没した641年に48歳だった宝皇女=皇極天皇も一枚噛んでいたと見る方が自然ではないだろうか。
少なくとも、「駒」となって必要とされる役割を果たした形にはなっている。
だとすると、彼女は陰謀大好き型の、ちょっと危険な「関西のおばちゃん」であろう。
孝徳天皇の在位期間中
さて、孝徳天皇の御代となり、中大兄皇子は事実上、皇太子の立場で政権を掌握する。
645年に孝徳天皇名義で「改新の詔(かいしんのみことのり)」を発布して「大化の改新」に着手したということになっているが、50年も前に決着のついた「郡評論争」で、詔にはずっと後代でないと使われようがない文言が用いられており、少なくとも一部は『日本書紀』編者の捏造であることが明らかになっている。そのため、「大化の改新」と呼ばれる改革とやらが、いったいどこまで実際に行われたのか、非常にあやしくなっているのだが、この論点にはここでは深入りしない。
はっきりしているのは、乙巳の変は中大兄皇子がみずから大王位継承者となるためのクーデターであり、「大化の改新」などというものは、それを正当化するための後付けの理屈にすぎないということだ。そしてそのクーデターについては、皇極天皇が影で(ちょびっと)糸を引いていた(かも)ということなのである。
さて、「中大兄皇子政権」とは言っても、当初は蘇我氏との連合政権のようなものだった。
「滅びたはずの蘇我氏と?」と疑問に思われるかもしれないが、蘇我氏は滅びていない。教科書には「645年、蘇我氏滅亡」と書いてあるのだが、厳密にいえば滅びたのは蘇我氏宗家のみであり、傍系の支族は健在なのである。
だいたい蘇我氏ほどの巨大豪族がそう簡単に滅ぶわけがない。蘇我氏内部に中大兄皇子らに内通する者がいたからこそ、その中枢の宗家を倒すことができたのだ。
先に記したように、推古天皇没後、山背大兄皇子を推した境部摩理勢という蘇我氏傍系支族を、その甥である蘇我蝦夷が殺害しているが、そのことで蘇我氏宗家は支族の反目を買った。そのあたりから蘇我氏宗家の蘇我氏全体の中での孤立がはじまっていた。
そして蘇我入鹿暗殺計画を進めるにあたり、中大兄皇子、中臣鎌足らは蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ・蘇我馬子の孫)、蘇我赤兄(そがのあかえ・同じく馬子の孫で石川麻呂の弟)という、傍系とはいえ宗家に非常にちかい血筋の有力者を味方に引き入れている。そのための政略結婚として、石川麻呂の娘・遠智娘(おちのいらつめ)が乙巳の変より前に(644年説あり)中大兄皇子に嫁している。彼女はのちに、大田皇女と鸕野讃良皇女の母となる。遠智娘の妹、姪娘(めいのいらつめ)も同時に中大兄皇子に嫁しており、こちらはのちに元明天皇となる阿閇皇女(あへのひめみこ)を産んでいる。のちに天皇となる女性たちの中に、蘇我氏の血は残されていくわけだ。
要するに乙巳の変は、中大兄皇子・中臣鎌足の謀略と、蘇我氏内部の下克上の「合わせ技」で成功したのであり、その功績ゆえに石川麻呂は中大兄皇子政権下、「右大臣」に任ぜられている。
蘇我倉山田石川麻呂の粛清
結局、蘇我氏の人間が引き続き大臣(おおまえつきみ)をつとめている。滅んだ蘇我宗家の権益を引き継いで、とって代わるかもしれない。
当然、中大兄皇子らはそんなことは許さない。649年、石川麻呂の異母弟である蘇我日向(そがのひむか)が、石川麻呂に叛意ありと密告する。これにより、孝徳天皇が派遣した兵が山田寺に石川麻呂を包囲。石川麻呂は妻子らとともに自殺を余儀なくされる。
乙巳の変3ヶ月後の古人大兄皇子も入れれば、粛清は石川麻呂で2人目となる。「叛意あり」として殺すパターンも同じだ。
実はそれでもなお、蘇我氏系の人間は残る。蘇我赤兄は壬申の乱ののち流刑となって歴史からフェードアウトするまで近江朝廷に仕えているし、上記の密告者、蘇我日向もその後、筑紫宰に栄転している。
ただ、そのひとりひとりはだいぶ小粒になってしまった。蘇我赤兄にしても蘇我日向にしても、中大兄皇子による謀略の駒に成り下がってしまい、その向こうを張って逆らうようなマネができる器では到底ない。日向の「栄転」も、「中央政界から遠ざける」という意味では、実は「左遷」の性格もあった。のちの菅原道真の例もあるように、「九州の要職」はそういうポストの定番だった。
ということで、さしあたり、蘇我氏は問題ではなくなった。
ところが、粛清の必要性というものは、あとからあとから生じてくるものなのだ。
だから粛清はクセになる(by スターリン)。
izumi
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