関西のおばちゃん・持統天皇 1

歴史ネタ

万葉と記紀の舞台は関……(以下ほぼ同文)

ということで、持統天皇も関西のおばちゃんである。それもタダのおばちゃんではなく、おそらく日本史上最強クラスの豪腕おばちゃんである。額田王も皇極・斉明天皇もなかなか強力だったが、持統天皇はその2人を足して5倍したくらい強烈。

では、さっそく本題に。

 

だいたいどんな人?

まずは基本的なところをおさらいする。

 

系譜

父は中大兄皇子(天智天皇)。母は遠智娘(おちのいらつめ)。645年、乙巳の変直後に生誕したと考えられる。遠智娘の父は、その変に関与し、孝徳天皇治世下で右大臣となった蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)。諱(いみな・呼称)は鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)。同母姉に大田皇女(おおたのひめみこ)がいる。

649年に祖父・蘇我倉山田石川麻呂が粛清される。この時、その娘で中大兄皇子の妻だった「造媛(みやつこひめ)」が心痛のあまり病死したとされるが、造媛は遠智娘と同一人物だった可能性があり、そうだとすれば鸕野讃良皇女は4歳で母を失ったことになる。

657年、額田王との「1対4交換トレード」で、大田皇女、大江皇女(おおえのひめみこ)、新田部皇女(にいたべのひめみこ)といった姉妹とともに大海人皇子に嫁する。数え年で13歳だった。

662年、筑紫・那大津で草壁皇子(くさかべのみこ)を産む……とされるが、ここは一考の余地あり。あとで取り上げる。

 

ひととなり・性格

おいおい事績を見ていけばおのずと明らかになっていくのだが、「気が強い、男まさり、野心的」といった筋で観測しておいてまちがいない。

多くの人が最初に彼女を知る「あの歌」を通して、そのあたりに軽く触れておこう。

春過ぎて夏来たるらし 白妙の衣干したり 天の香具山

 

この歌である。

ただ、多くの人は藤原定家の『小倉百人一首』収録バージョンが頭に入っているだろう。

春過ぎて夏来にけらし 白妙の衣干すてふ 天の香具山

 

著作権という概念もなく、原典尊重の意識もなかった時代のこと。実は藤原定家、自分好みのプレイリストである百人一首におさめるにあたって、手を加えてしまっているのだ。

「来にけらし」は、動詞の「来」に完了の助動詞「ぬ」の連用形、伝聞のニュアンスがある過去の助動詞「けり」の連体形「ける」(「る」が脱落)、推定の助動詞「らし」となっていて、「夏が来たということらしい」と、婉曲な言い回しに改変されている。

「干すてふ」も似たような感じで、「てふ」は「……と言ふ」の短縮なので「衣を干しているそうだ」と伝聞の意味が加わり、やはり婉曲になっている。

 

オリジナルバージョンはというと、そんな奥ゆかしい言い回しはしていない。

「来たるらし」の「たる」は完了または存続の助動詞「たり」連体形、「らし」は、なんらかの根拠があり「推量」よりも確かさの高い「推定」の助動詞。

したがって、「夏が来たらしい」ないし「夏が来ているらしい」という意味で、定家バージョンよりもストレートだ。

「衣干したり」も同様で、「たり」は存続の助動詞。「衣が干してある」と、見たまんまをストレートに詠んでいる。

それでもって句切れが二句と四句にあるので、歌意は、

「春が過ぎて夏が来ているらしい。衣が干してあるわ。天の香具山に」となる。

「。」のところは「!」にした方がふさわしいと思えるくらい、素直でストレートな詠みぶりである。視覚的イメージを喚起する力も、オリジナルバージョンの方が上だ。真っ青な空、緑濃い香具山、輝くような白い衣が目に浮かぶ。少女のような素直な心で感じるワクワク感も伝わる。

定家としては、持統天皇のためを思って歌に女性らしさを加えたかったのだろうが、正岡子規でなくとも「余計なことはするな」と言いたくなるところだ。

 

そして、余計なことをしていないオリジナルバージョンからこそ、持統天皇の人柄の一端が伝わる。

素直でストレートで、堂々たる詠みぶり。やはり男性的で力強くもあるのだ。

 

『日本書紀』によるひととなり

『日本書紀』では、持統天皇について「深沈で大度」、「礼を好み節倹」、「母の徳あり」といった人物像の記載が見られる。それぞれ、「落ち着きがあって器が大きい」、「礼節を重んじ、無駄遣いをしない」、「母性的である」といった意味。

『日本書紀』は天武天皇の皇子である舎人親王(とねりしんのう)が中心となって編纂された歴史書であり、編者たちにとって持統天皇は同時代の絶対権力者。当然、悪く書くわけはなくて、むしろ粉飾気味に良く書くものだろうが、そのわりには控えめな評とも思える。

やはり、あまりくだくだと書かなくても、彼女がなしたことを見ていけば、おのずと伝わるだろうということかもしれない。

 

しかしながら、鸕野讃良皇女だった時期も含めて、持統天皇が行った数々の業績については、天武天皇がケタ外れに偉大だったおかげでできたところもある。彼が天皇の権力と権威をかつてない水準にまで高めたからこそ、持統天皇も誰も逆らえずにスムーズに施策を進めることができたわけだ。

次に、天武天皇がその権力・権威を高めるに至った戦い・壬申の乱の意味を確認しておこう。

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